2011年4月5日火曜日

これまでの訪問先のまとめ

各地の様子を書いていなかったので、訪れた場所について書きます。
現場は日々変わっていると思いますので、あくまでもご参考まで、です。
また、私たちも市内をすべて回れているわけではないので情報としてはかなり偏っていると思います。

●北茨城市(3月31日)
→主に大津港付近。
車で走行できる場所はほぼ問題なく通れる状況。
大津の浜は船が道路まで出たりと大変だったとのこと。
防波堤が遠くまで流されている。
五浦付近は道路状況もあまりよくなく、津波被害あり。
津波被害も見られましたが、地震による家屋の倒壊も多く見られました。
市役所は落ち着いていて、ボランティアも地元の方が継続的に参加しているようでした。



●いわき市(3月31)
→主に南部。※わたしたちはいわき市南部しか見ていないので、その他の状況はわかりません。
小名浜の一部は津波被害で家や車が流れていました。津波が来ている箇所の被害は大きいです。
だいたいの道路の舗装は済んでいるようでした。
ボランティアの登録者はいるようですが、ニーズとかみ合っていないように見えました。
市役所は少し落ち着きのない雰囲気でした。

●名取市から仙台市(4月1日)
→主に海沿いと駅周辺
6号を走っているときは、ガソリンの渋滞があるなという程度で、本当に普通と何も変わらないように街は動いて見えます。
ただ数百メートル海沿いに移っただけで、様子は一変します。瓦礫と砂埃です。
特に仙台空港のあたりは、自衛隊や作業の車がかなり入っていて、一般の人が入って何か手伝うという雰囲気ではありません。
とにかく迅速に片付けて、もう一度作る、ということをつき進めているようでした。
仙台市役所や仙台の駅前は、所々に地震の跡は見えるものの、本当にいつもどおり動いていました。

●仙台市から多賀城市(4月1日)
→主に海沿い
多賀城市は今の時点では通過したのみなのですが、かなり津波に襲われているという印象でした。
また、仙台市と多賀城市の市の境目で、舗装がされているかいないかが、はっきりと分かれているような部分も見られ、行政の動きの違いも見られるようでした。

●石巻市(4月2日)
→主に駅前北大通から鹿妻周辺
市の半分が津波にやられている、とのことでした。
実際向かうと、市内は電気の通ってない場所も多く、川沿いの地域は道路が冠水しており、通行止めの箇所もかなりありました。
街の人たちの多くは、避難所から自転車や徒歩で通って、昼間に自宅の瓦礫の撤去をしていました。
もともと住宅も多く、大きな道路沿いにはたくさんチェーン店などもあったようですが、営業できる状態のお店はかなり少ないように思えました。
都市ガスはまだ復旧していないが、プロパンのお宅は料理も出来ているとのこと。市全体で節水をよびかけています。
私たちが訪ねたお宅では、家を失われたご近所の方が避難されていました。
雰囲気としては非常に朗らかでしたが、部屋の中には津波の高さを示す泥の線がまだ残っていました。
駅前にある市役所も被災しており、市役所は被災した方と職員で混んでいました。
職員の方々、とても疲れていらっしゃるように見えました。

●気仙沼市(4月3日)
→主に町の中心部
津波の被害はかなり大きいと思います。
住宅地で海なんか見えなかった、という場所がすべて更地になっている。
そんな場所が、被害のない場所と数10メートルごとに交互に存在していました。
少し高台にあるだけで、被災のないお店は混雑しながらも営業しています。そして、数10メートル先は道路も壊れ、瓦礫の更地になる。
電気も水道も大きな通り沿いは通っているようではありましたが、市全体では給水車から水を組んで歩いている方もたくさんいました。
避難所は被害が大きかった場所からは割と離れています。
避難所で生活している中学生たちは元気にサッカーをしていました。
ボランティアセンターの付近でテントをたて、自活して継続的に参加しているボランティアの方もいました。
ボランティアセンターはうまく機能していない印象。
センターには山盛りの物資がありましたが、それが避難所に行くトラックに詰まれることはほぼありませんでした。
まだ大規模な捜索作業がされており、個人宅の瓦礫の撤去などが遅れているように見えました。


●気仙沼から盛岡駅(4月3日)
内陸に向かう道路のコンビニ、本当にものが少ない。
食パンが売っていると喜んでいる子供がいました。
被災地と離れるにつれ、物流が偏っているというか、本当は足りていないのか、と思いました。
また、盛岡市は節電を薦めていて、大きな通りも駅前もほぼ真っ暗でした。
お店の看板も営業しているのかわからないほどでした。

●八戸市(4月4日)
→主に鮫町、八戸港
被害の範囲はあまり広くはないものの、流された家なども見られました。
港付近の道路はほぼ瓦礫は端に寄せられ、片付けられていました。
避難所の公民館に行くと、職員さんも非難されている方もとても疲れている印象。
大きい避難所に200人程度、小さな避難所が2,3箇所あり20-30人程度の方々がいらっしゃるとのこと。
避難所同士で連絡は取っていないようでした。
外の人が来るのが久しぶり、ボランティアさんが来ることもないとのこと。
市役所にいっても災害対策専用の窓口はありません。新規ボランティアも締め切っています。


●八戸市から階上、久慈(4月4日)
海沿いは家屋が流されて全壊している箇所も見られました。
住民の方が黙々とそれらを片付けているように見えました。
地震倒壊はあまり見られませんでした。

明日は宮古市に行きます。これから5日間ほどかけて南下していく予定です。

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